ギターを弾く上で知っておくとお得な楽典その90。
随分前の回でメロディーやフレーズのターゲットとなる音程を直接弾くのではなく、他の音程からアプローチを行う”
アプローチノート”という考え方を取り上げましたが、今回はその続き。
アプローチノートはどこまで許されるのか?というテーマで行ってみたいと思います。

まず用意しましたのは、何ということはない”ドレミファソ”。
これをインパクトある聞こえ方にする為、やりすぎな位にアプローチノートを足してみます。
以前の回でご説明しました通り、アプローチノートに使われる音程は”調性に含まれる音である必要は無く”、”和音と協和している必要もありません”。
基本的にターゲットである音程が強迫上にあれば、あとは自由な音程をターゲットノートとして付加出来る事となります。

すなわち、この様にターゲットノートが複数、また連続して現れる形になっても良いという事になります。
ここまでくると最早意味不明な感じの譜面でありますが、アプローチノートのターゲットとなる”ドレミファソ”に動きはありません。

ターゲットである”ドレミファソ”の間に挿入された各音程が、全てターゲットへと向かうアプローチノートという事となります。
どれもクロマチックなノートですので、ここに例えどんな和音が設定されていたとしても協和は難しいでしょう。
実際に少し弾いて頂ければお分かり頂けると思いますが、メロディやフレーズとしても微妙(奇妙?)。
しかし、最初のごく単純な”ドレミファソ”に比べれば、かなりインパクトは生まれたと思います。
それにしてもこんなに滅茶苦茶で良いのか?
そう思われるのが普通だと思いますが、これぞアプローチノートという考え方が生み出す自由さなのです。
音楽にはルールや決まりがあり、そこから外れれば良くない結果を生む。
それがごく自然な考え方と言えますが、アプローチノートという考え方の前では上記の様な無理も通ってしまうのです。
現に上記の譜面の場合には、ターゲットとなる音程に動きは無く、もちろん強迫上にある音程のままであります。
その重要な音程に向かうアプローチの仕方が変わっただけ。
決して、元のメロディやフレーズを破壊してしまった訳ではないのです。
基本、アプローチノートは強迫以外、短い音価で。という最低限のルールはありますが、こうした考え方を知っておく事で、改めて音楽(フレーズ)の表現は自由なんだと考える事が出来るのかもしれません。
ですが、一応。
上記例の様に闇雲にアプローチノートを足しても大抵良い結果は生み出さないでしょう。
どこに、どんな音程のアプローチノートを足すか。作曲するのと同様にセンスが求められる筈です。
自由である事こそ本当は難しいと言うのが良くわかる考え方だと思います。
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