ギターを弾く上で知っておくとお得な楽典その73。
今回は少々趣向を変えまして、楽典に触れる意義といったお話。
作曲に関してのセオリーとそうでないものという話です。

作曲(含むコード付け)をしようと考える際に、何かと利用出来るのが音楽の基本的なルール。
楽典について色々知っていると、より良い手法がサッと導き出せるものであります。
言うなれば、それが楽典(音楽の理屈/セオリー)を学ぶ意味でもあると思いますが、時にそれを無視した形が楽曲に面白みを与える場合があるというのは皆さま自然と感じていらっしゃる事でしょう。
以前触れました”
終止形”という理屈も、楽曲/コード進行を考える上で大変役に立つ考え方・手法であります。
極簡単に言えば、曲の終わりは主和音(トニックコード)が相応しいという音楽上のルールです。
ルールという言い方をしていますが、こうすることによってその曲がエンディングを迎えたという感じが明確になります。
自然とそう聞こえる(感じる)という音楽の不思議を上手く利用した結果であるとも言えます。
実はこれ、メロディラインに対しても同じ事が言えまして、メロディは最終的にその調の主音で終わるというのが一つの基本形でもあります。
良く”メロディラインはその主音に対して引力が働いている”と表現されます様に、これもまた自然な感覚で行くとおのずと辿り着く形であると言えます。

しかし、音楽は自由であるという考え方をするのならば、この理屈は一つの形でしかありません。
終止形の形やメロディラインの帰結する形などは、基本はあれど必ず守らなければならないという縛りではありません。
特に最近の流行りなどを考えてみても、ルール通りには行かない複雑な曲が当たり前になった感じが致します。
誰にも聞きやすい(理解しやすい)楽曲よりも、より手の込んだ不思議な感覚にさせられる曲が広く受け入れられている様子も目にします。
こうした楽曲は、ルールに従うだけでは産まれないものだと思いますので、作曲者自身が思い描いた完成形がそうであった場合ですとか、こうしたら面白いのではないか?という探求心があってこそ生まれたものだと思います。
メロディの終わりが主音でなくとも。
一般的な終止形にあてはまらないコード進行の終わり方でも。
目指す形が確かにそこであれば何ら問題ないはずなのです。

ただし、基本的なルールを押さえていないと、単なるでたらめになってしまうというのは言うまでもありません。
でたらめが、聞き手の高評価につながる事はありえないとは言い切れませんが、やはり単にでたらめでは聞き手に受け入れがたいものが出来上がる可能性が高いと思われます。
基本を知ったうえでそれを越えて行く考え方を忘れなければ、常に面白いものが創作出来るのではないかと考えます。
楽典など知らなくても音楽はやれるというのも良く聞く話でありますが、(セオリーを)知れば知らない時に比べて音楽の世界は簡単に広がります。
しかし、逆にそれに縛られてしまうとありきたりの物しか作れなくなったりもするかと思います。
セオリーを知り、その上で自身の耳や感覚を総動員してさらに面白いものを目指すというのは、難しくもあり大変面白い事だと思います。
- 関連記事
-