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 四十代。妻子持ちの普通のおっさんによる、趣味のエレキギターblogです。


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気になるギタリスト91

 気になるギタリスト91回目は、93年に武道館公演を成功させた日本人ギタリスト、「児島実」氏です。


DIE IN CRIES KYO 室姫深 YUKIHIRO B2ポスター 2A04014




 「児島実」氏と聞いてピンと来ない方でも、「室姫深」と聞けば良く御存じの方も多いのではないかと思います。


 1990年代、D'ERLANGER解散後の「KYO」氏をフロントマンに迎え、瞬く間に大人気となった日本のヴィジュアル系ロックバンド「DIE IN CRIES」。

 その多くの楽曲を手掛けたギタリスト「室姫深」こそ児島氏の別名であります。


HUMANITY




 そもそも児島氏は、これまた世界的人気を博した「THE MAD CAPSULE MARKETS」の初代ギタリストとしてデビューしました。

 当初インディーズレーベルから発表された1stアルバム「HUMANITY」の中に室姫深の名義が見られます。


 後にデジタルミュージック的なアプローチを強めていった同バンドでありますが、初期は紛うことなき”パンク”ロック。

 児島氏のギターワークもパンクミュージックのそれであります。


 しかし、1stアルバム発表以降同バンドを脱退。

 その後、ドラマー「yukihiro」(現L'Arc〜en〜Ciel)氏との活動を挟みつつDIE IN CRIES室姫深としての活動へと続いて行きます。


NOTHINGNESS TO REVOLUTION-FILM [VHS]




 後に武道館に立つまでとなったDIE IN CRIESも当初はインディーズからのデビュー。

 しかし、(音楽ファンにしてみれば)そうそうたるメンバーの集まったこのバンドが注目を集めるのに時間は要りませんでした。


VISAGE




 92年のメジャーデビューアルバム「VISAGE」発表から、95年のバンド解散まで、それこそ怒涛の勢いで日本のロックシーンを駆け抜けて行きました。


NO NEED (MEG-CD)




 ”DIE IN CRIES室姫深”として多くの方にその名を知られる存在となった「児島実」氏でありますが、売れっ子となってもその活動はDIE IN CRIESのみではなかったというのですから驚きです。

 DIE IN CRIES活動中にも児島氏自身が中心となり「BLOODY IMITATION SOCIETY」を結成。

 DIE IN CRIESとは全く異なるハードコアなバンド活動も行っていました。


 こうした児島氏のやりたい事、音楽性のズレみたいなものがDIE IN CRIES解散に繋がったのかどうかは分かりませんが、DIE IN CRIESは95年に解散。

 その後、児島氏は「BLOODY IMITATION SOCIETY」を活動の中心にしていきますが、それもまた長くは続きませんでした。


BUGMANIA (CCCD)




 それから数年後。21世紀を迎えた2001年。

 ここで「BUG」というバンドが登場します。


 DIE IN CRIES解散後、ソロアーティストとして活動していたボーカルKYO氏と再び手を取り合うこととなったのです。

 後にDIE IN CRIESでベースを務めていた「TAKASHI」氏もこのバンドに加入したことから、DIE IN CRIESファンは狂喜したのは言うまでもありません。

 完全な形ではないにせよ人気バンドの復活か?と話題にもなりましたが、一年ほど後ここからも児島氏は去って行ってしまいます。


NEO WAVES



 
 次に児島氏が音楽シーンに登場したのは、2003年。

 女性ボーカリストを中心に据えた新バンド「SPIN」のギタリスト”深”としてでした。

 このバンドは後に「THE SPIN」として2009年にメジャーデビュー。

 デビュー曲は、アニメのオープニングテーマとして採用されるなどしました。


 この時の児島氏は、フライングVを手にパンクギタリストを思わせる風体。

 ビジュアル系ギタリストとして一世を風靡した彼は本来こうした姿が理想だったのかとも思われる姿でした。


 そして抜群のソングライティングセンスも健在。

 このまま、メジャーシーンの王道を突き進むのかとも思われましたが、このバンドも2010年に活動停止。

 ソロ活動や有名アーティストのサポートとしての活動は続けていらっしゃいましたが、ギタリストとしてのバンド活動は見られなくなるのかと思われました。


 しかし、児島氏の音楽活動の意欲が衰える事はありません。


春風が吹くころ




 なんと、ポップユニット「SUSIE LOVE」のギタリスト「NICKY」として現在も活動を続けていらっしゃいます。

 現在の姿を見てどれだけの方がかのビジュアル系ギタリスト室姫深だと気づくでしょうか?


 THE MAD CAPSULE MARKETSやDIE IN CRIESの室姫深。

 現在のSUSIE LOVE、NICKY。

 まったく繋がらない様にも思えますが、今も昔も耳に残る作曲力は確かに児島氏のものです。


 様々な音楽の中で、様々な名を使い分け、音楽の世界を生き続けるギタリスト。

 過去の栄光をものともしないそのスタイルは、とにかく自由奔放な姿にみえます。


 様々な表情を見せるギタリスト児島実氏。

 この方ほど多様な活躍をみせたギタリストというのも珍しいのかもしれません。


 何より、どんな形態であってもギタリスト児島実氏が活動を続けていてくれるというのが、古いファンには嬉しいものであります。

 まだまだ長く活躍してほしいギタリストのお一人です。


DIGIPOP



気になるギタリスト90

 気になるギタリスト90回目は、ロックンロール創成期に活躍したギタリスト。

 King of Rock'n Roll 「エルヴィス・プレスリー」と活動を共にしたギタリスト達は、今やその多くがレジェンドとして語り継がれる人物ばかりでありますが、なかでもプレスリーデビュー当時に活躍したこの方は特別レジェンドな存在でしょう。


That's All Right Mama




 彼の名は「スコティ・ムーア」。

 1954年のエルヴィス・プレスリーデビュー当時から活動を共にし、ギタリストとして後のロックミュージックに多大な影響を与えた人物です。


 ロックンロール全盛から前に生まれたスコティ・ムーアですので、もともとはカントリーミュージシャン。

 従いまして、カントリー的なテクニック、スタイルがバックボーンにあるギタリストです。


 そんな彼でありますが、カントリー、ロカビリー、ロックンロールと常に新しい楽曲、音楽スタイルが模索されていた時代にあり、その中でエレクトリックギターとロックンロールという新時代のギタリストへと進化していったのは自然の流れだったと言えるのかもしれません。


 さらに、エルヴィス・プレスリーとの出会いにより、今やロックの基本的な形、原初のロックギターとも言える形を生み出して行くこととなります。


 事実、ロック界のレジェンドと呼ばれる様なベテランギタリスト何人もが、スコティ・ムーアを憧れのギタリストとして挙げています。

 後にレジェンドギタリストと呼ばれる方たちからすれば、アイドル的存在であるプレスリーよりもスコティ・ムーアのギタープレイの方に目を奪われてしまったという事なのでしょう。


Good Rockin' Tonight - Elvis Presley Sun Sessions




 ですが、彼がエルヴィスと活動を共にしたのはこの初期だけでありまして、その後長らく共演することはありませんでした。

 これは、スコティ・ムーアがどうこう言うよりも、エルヴィスのマネージメント的な方向性と合わなくなってしまったからがその原因にある様でして、決してスコティ・ムーアとは合わないので活動を共にしなくなったという訳ではありません。


 エルヴィスが人気者になりすぎた結果、歩む道に違いが生まれてしまったという少し残念な話であります。


 しかし、エルヴィスと共に光り輝いたスコティ・ムーアの姿は当時はもちろん、後の世にまで多大な影響を与えたというのは間違いのない事実であります。

 2016年に他界するまで、多くのステージを飾り、数えきれない人々を感動させ、楽しませ続けました。



 毎度、こうした人物に触れる度に思うのは、真似るのは容易く、パイオニアになるのは難しいという事。

 今見ればクラシックな彼の演奏も当時としては革新的であり、後のロックギタリストの礎になっているのは言うまでもありません。


 長く語り継がれて当然の偉大なレジェンドギタリストであると思います。



Baby Let's Play House



気になるギタリスト89

 気になるギタリスト89回目。


 今回取り上げますのは、アメリカの有名女性ギタリスト。

 その昔、King of Pop「マイケル・ジャクソン」のツアーギタリストとして大活躍を見せた方でもあります。


 ここで若い方であれば十中八九「オリアンティ」だと思うのかもしれませんが、今回の女性ギタリストはもっとベテランの方。

 1980年代から1990年代にかけてマイケル・ジャクソンのツアーでその存在感あるプレイを魅せつけた女性ギタリスト、「ジェニファー・バトン(バトゥン)」その人であります。


アバーヴ・ビロウ・アンド・ビヨンド




 マイケル・ジャクソンの世界ツアーで特に輝きを放っていた女性ギタリスト。

 あの時代のメタル系ロックギタリストとしては、ある意味一つの形態とも考えられる派手なメイクと髪型。

 今ではあの時代を象徴するようなイメージと捉えられているルックスと言えるのかもしれませんが、そのインパクトはステージの主人公であるマイケル・ジャクソンにも引けを取らない存在感を発揮していました。


 しかも、彼のマイケル・ジャクソンに認められたギタリストですので、ただ外見がぶっ飛んでいただけのギタリストではありません。

 実にテクニカルな演奏技量を持つ彼女は、速弾きはもちろん、当時としても衝撃的なハイレベルのタッピング(ライトハンド奏法)技術の持ち主でもありました。
 

 1992年に発売された彼女のソロアルバム、「Above Below and Beyond」の中にも、ジェニファー・バトンの名を一躍有名にした曲が収録されています。

 それは、クラシックの難曲としても知られる「熊蜂の飛行 (Flight of the Bumble Bee)」のエレキギターカバー。

 近年、どれだけ速く弾けるか?というギネスチャレンジでもお馴染みのこの曲ですが、彼女はこの難曲をタッピングを駆使して弾くという離れ業を披露しています。


フー・エルス!




 1999年からは、彼女が当初からファンであった「ジェフ・ベック」のレコーディングやツアーにも参加。

 メタルなイメージのテクニカルギタリストから、また違ったテクニカルさを披露する幅広い音楽性を発揮していきました。


 基本的にバンドに属さず、ソロアーティスト/セッションミュージシャンとして活躍してきた彼女。

 技巧派で、女性ギタリスト。

 今では、そういう活動形態の女性ギタリストも随分増えた様に思えますが、その先駆け的な活躍をしてきた人物であると言えるお方だと思います。


 1957年生まれの彼女は、還暦を迎えた今も現役。

 当然、マイケル・ジャクソンのステージに上がって居たころの派手さはなくなりましたが、より卓越した熟練の技巧は健在。

 この世界のレジェンド達がそうである様に、衰え知らずなのは彼女も同様です。


Momentum




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